白土三平短編集 抜け忍 くのいち ”赤目のスガル”

漫画・書籍

白土三平は忍者マンガの始祖と言っても過言ではありません。

作品の多くは1960年代であり、今となってはほとんどお目にかかることもありません。

しかしながら、今の忍者のイメージを定着させた第一人者です。

代表作は「サスケ」「カムイ外伝」「忍者武芸帳」など、名作を生み出されました。

本日は1963年9月に発表された24ページの短編「スガルの死」をご紹介します。

少し長いですが、お付き合いください。

出典:白土三平 ビッグ作家 究極の短篇集 (ビッグコミックススペシャル) / ISBN-10:4091850782

序章

スガルは通称「赤目のスガル」と呼ばれる”くのいち”です。

理由は不明ですが、抜け忍です。

抜け忍は忍者の掟をやぶりたる者。死を持って報いられることとなっています。

追手がスガルの居場所を突き止めたようです。

別れ

備後国(広島県)の農村に幼い子を2人育てる夫婦がいます。

ある時、オシカと呼ばれる若い妻は、夫と幼い子を残して家を出ようとします。

子供を寝かしつけた後、家を出るオシカ。

「オシカ!!どこへ行く…?」夫が呼び止めます。

「待ってくれ もう わしらが嫌いになったのか?」必死にオシカを引き止めようとします。

オシカは告げます。「違います…でも行かねばなりません… 子供をお願いします」

「オシカ 訳を言ってくれ…」「待て、どこへ行くんだ!?」

「あとを追わないで…」オシカはつらい気持ちを振り切って夫から立ち去ります。

「オシカ、どうしてだ!?オシカ!!」必死に妻を追いかける夫。でも、

「おかしい いくら追っても追いつかん」驚異的な速さでオシカは姿が見えなくなります。

「オシカ待ってくれ!!子供に会いたくないのか?オシカ!!」

ようやく夫がオシカを見つけます。

そこは人々から「おそれ沼」と呼ばれている 足を踏み入れてはいけない沼。

オシカは沼の奥へと消えていきます。

若妻の正体

沼の奥へと入ったオシカは虚無僧に扮した男5人に囲まれます。

「百姓女オシカとは、うまく化けたな!!」

「スガル、もはや観念せい!!」

うら若き百姓の女房オシカは、抜け忍”赤目のスガル”だったのです。

死闘

「ホホホホ、もしやと思ったが、いずれこうなるのは覚悟の上…」スガルは微動だにせず男たちに告げます。

「だが、この沼地に踏み入って助かった者は一人もいない。例え私を殺しても、お前たちも皆死ぬのさ。」

足場の悪い沼地で手だれの忍者5人を相手にスガルが死力を尽くします。

ただ者ではないスガルですが、ついに仕留められ絶命します。

沼に沈みゆくスガルが最後に告げます。

「ホホホ、今にわかる。なぜこの地に隠れ、お主らを待っていたか 今にわかる…」

かくして赤目のスガルはおそれ沼に姿を隠し、5人の刺客もこの地を去ります。

刺客たちのその後

しかし

刺客の男たちは次々と体調不良になり、忍びの里に戻っても苦しみ伏せてしまいます。

「たたり…まさか」次々と命を落としていく男たち。

そして最後の一人も亡くなってしまいます。

作者による解説

物語の最後に、男たちが亡くなった原因について作者の解説があります。

片山病と呼ばれる風土病は、ミヤイリ貝を中間宿主とする日本住血吸虫という寄生虫による病気であり、昔から多くの人々の命を奪ってきました。男たちはこれにより亡くなったとしています。

風土病について

水中に足を踏み入れた人や動物の皮膚からこの寄生虫は体内に侵入し、ついには肝硬変をおこします。

長年、原因不明の風土病として恐れられた病気。

素足で田植えを行う農民の多くが罹患してきたが、明治になるまでその原因が不明でした。

その地方に嫁ぐときは死を覚悟したと伝えられています。

明治期にこの風土病に関心を持った医師が研究し、原因の一端を解明、寄生虫によるものと推測。

感染経路、寄生する宿主、その繁殖地を特定し、宿主であるミヤイリ貝の撲滅を医師、行政、住民一体となって取り組みました。

農業を稲作から果物栽培に転換したり、石灰による貝の駆除、コンクリートによる水路工事を行い、貝の繁殖を妨げるなど、長年の努力の結果、日本では第二次世界大戦後に圃場整備が進んだこともあり、ミヤイリガイも減少し、日本住血吸虫病も1978年以降、新規患者の報告はなくなったようです。

寄生虫を最初に発見したのが日本なので日本住血吸虫症と呼ばれますが、世界中で感染が報告されており、海外では今も感染者がいます。

ウィキペディアによると、

”日本では、古くから山梨県の甲府盆地底部、福岡県・佐賀県の筑後川流域、広島県深安郡旧神辺町片山地区(現:福山市)が三大流行地であり、風土病として知られていた。

最大の有病地である山梨県ではこれを「地方病」と呼び、古くは「流行地には娘を嫁に出すな。」という俗諺が生じていた。同県では、日本住血吸虫対策を行ったことで、肝硬変による死亡率が約2⁄3にまで激減するほど、人々の生命を脅かす存在だった。”

とあります。

このような恐ろしい病気が昭和後期まで存在していたことが驚きであり、撲滅宣言に至るまで病原体発見から100年以上かかっています。

自然界の生物を駆除することはほぼ不可能なことであり、撲滅宣言できたことが奇跡のように感じます。

撲滅に尽力された方々の功績を讃えたいと思います。

赤目のスガルの舞台は福山市と推察されます。

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